今いくよくるよが遺した絆と伝説|死因の真相から「どやさ」の軌跡まで
昭和から平成にかけて演芸界の第一線を走り抜け、日本中に爆笑の渦を巻き起こした伝説の女性漫才コンビ「今いくよ・くるよ」。派手な衣装と強烈なキャラクター、そして抜群のテンポで繰り出される本格派のしゃべくり漫才は、男性優位だった当時の演芸界の常識を鮮やかに塗り替えました。
2015年にツッコミの今いくよさんが旅立ち、2024年にはボケの今くるよさんも後を追うように天国へと旅立ちました。二人が駆け抜けた激動の半生、病魔と闘い続けた日々の真相、そして今なお多くの後輩芸人たちから語り継がれる温かい人柄について、当時の記録と関係者の証言を交えて紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:二人の死因の真相は今いくよさんの胃がん(2015年逝去)と今くるよさんの膵臓がん(2024年逝去)であり、最期まで舞台と相方を思い続けた生涯だった。
- 要点2:絆の原点は京都明徳高校ソフトボール部のバッテリー時代にあり、半世紀以上にわたって解散危機すら皆無という比類なき友情を築いた。
- 要点3:名言「どやさ」の誕生秘話や中川家をはじめとする後輩芸人への惜しみない支援など、遺した人間味と功績は現在も上方演芸界の礎となっている。
【今いくよくるよ経歴まとめ】京都明徳高校ソフトボール部から吉本興業の看板へ
今いくよ・くるよの歩みは、お笑い界でも極めて珍しい「本物の親友同士」の物語でした。二人の出会いは高校時代、名門として知られた京都明徳高校ソフトボール部(現・京都明徳高等学校)でした。いくよさんがキャプテンでピッチャー、くるよさんがキャッチャーを務める不動の黄金バッテリーとして国体にも出場。この青春時代に培われた絶対的な信頼関係こそが、のちの半世紀にわたる漫才活動の頑丈な土台となったのです。
高校卒業後、いくよさんは大手百貨店、くるよさんはOLとして一般企業に勤務していましたが、漫才への情熱を断ち切れず、1970年に名門・島田洋之介・今喜多代へ弟子入りを果たします。厳しい修行期間を経て、吉本興業の女性漫才師として正式に劇場デビューを飾りました。
今いくよくるよの若い頃は、スマートでつけまつげをトレードマークにしたいくよさんと、ふくよかな体型を自虐的に活かすくるよさんの強烈なコントラストが大きな話題を呼びました。1980年代初頭の「マンザイブーム」の波に乗り、全国区の人気タレントへと一気に駆け上がっていったのです。
【闘病生活と死因の真相】今いくよの胃がんと今くるよの膵臓がんが紡いだ絆
二人の足跡を語る上で避けて通れないのが、壮絶な病魔との闘いと相方への無償の愛です。激痛や体調不良を隠しながら舞台に立ち続けた二人の訃報の真相は、演芸界のみならず全国のファンに大きな衝撃を与えました。
先に行動を制限されたのはいくよさんでした。2014年9月に胃がんが見つかり、ステージが進んでいたにもかかわらず、精力的に抗がん剤治療を受けながら驚異的な回復力で同年12月に舞台復帰を果たします。しかし病魔の進行は早く、2015年5月28日、いくよさんは67歳で息を引き取りました。最期を看取ったくるよさんは「日本一の相方やった」と号泣し、棺にいくよさんが愛した舞台衣装を納めた光景は涙を誘いました。
相方を失ったくるよさんもまた、重い喪失感を抱えながら一人で活動を継続していましたが、晩年は膵臓がんを患い闘病生活に入っていました。そして2024年5月27日、くるよさんは都内の病院で静かに息を引き取ります。享年76。いくよさんの命日のわずか前日という巡り合わせは、まるで天国の相方が「もうええよ、こっちおいで」と手招きしたかのようだと、関係者の間で深く胸を打つエピソードとして語られています。
【名言「どやさ」の元ネタ】派手な衣装とギャグの誕生秘話に迫る
くるよさんの代名詞といえば、両手でお腹をポンポンと叩きながら叫ぶ「どやさ」です。流行語大賞の候補にも選ばれたこのギャグですが、その元ネタは非常にシンプルな日常会話にありました。
もともとは京都弁特有の「どうなの?」「どんなもんや」という意味合いで使われる日常の問いかけ言葉でした。舞台上で予想外のハプニングが起きた際、くるよさんがとっさに客席へ向かって「どやさ!」と放ったところ、劇場が大爆笑に包まれたことが誕生のきっかけです。
くるよさんの派手な衣装についても明確な戦略がありました。「お金を払って見に来てくれるお客さんに、少しでも華やかでめでたい気分を味わってほしい」という徹底したプロ意識から、スパンコールや巨大なリボンをあしらった唯一無二のスタイルを貫き通しました。くるよさんがボケて「どやさ!」と胸を張り、いくよさんが「細い子ぉと太い子ぉでやってます」と上品に突っ込むフォーマットは、お笑い史に残る至高の芸として完成されていました。
【後輩芸人が明かす素顔】中川家や弟子たちへ注いだ無償の愛情エピソード
楽屋裏における二人は、後輩芸人にとっての「大阪のお母ちゃん」そのものでした。若手時代に極貧生活を送る芸人たちを見つけては、高級焼肉店や寿司屋に連れて行き、お腹いっぱい食べさせる姿が日常茶飯事でした。
とりわけ中川家とのエピソードは有名です。中川礼二さんがくるよさんのモノマネを始めた際、本人は怒るどころか「あんた上手やなぁ!もっとやりぃ!」と大絶賛し、自らの高価な舞台衣装をプレゼントしたほどでした。また、兄の剛さんがパニック障害で苦しみ、舞台に立つことすら恐怖を感じていた時期には、いくよさんもくるよさんも何も詮索せず、ただただ優しく抱きしめて「大丈夫やで、ゆっくりやりや」と励まし続けました。
自らの弟子はもちろんのこと、事務所の垣根を越えて若手を可愛がった二人。どれほど売れても決していばらず、楽屋の隅にいる若手にも「ご飯ちゃんと食べてるか?」と声をかけ続けた温かい人柄が、現在も多くの芸人たちから慕われ続ける最大の理由です。
【女性漫才師のパイオニア】上方漫才大賞受賞歴と演芸界に刻んだ歴史的功績
今いくよくるよが演芸界に遺した最大の功績は、「女性コンビが本格的なしゃべくり漫才で頂点を獲れる」ことを証明した点にあります。当時の演芸界は極めて男性社会であり、女性芸人は色物扱いされるか、男女コンビの補助的な役割に回ることが一般的でした。
その分厚い壁を実力一本で突き破った二人は、1984年に権威ある上方漫才大賞で栄えある大賞を受賞します。同賞において女性のみのコンビが大賞を受賞するのは極めて異例の快挙であり、海原お浜・小浜以来の歴史的な瞬間となりました。
テンポの良い掛け合いと、容姿いじりを笑いに変えつつも誰も傷つけない後味の良さ。彼女たちが切り拓いた道があったからこそ、ハイヒールやすよみよ、さらには現代の第一線で活躍する数多くの女性芸人たちが舞台で主役を張れる土壌が完成したと言っても過言ではありません。
【今いくよくるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよくるよの二人は本当に高校の同級生だったのですか?
A1:事実です。二人は京都明徳高校(現・京都明徳高等学校)の同級生で、ソフトボール部でキャプテン(いくよさん)とキャッチャー(くるよさん)としてバッテリーを組んでいました。この高校時代からの絆は、芸能界入り後も生涯途切れることはありませんでした。
Q2:二人の死因は何だったのでしょうか?
A2:今いくよさんは2015年5月28日に胃がんのため67歳で逝去されました。相方の今くるよさんは2024年5月27日に膵臓がんのため76歳で逝去されています。奇しくもくるよさんが亡くなったのは、いくよさんの命日の前日でした。
Q3:トレードマークのギャグ「どやさ」にはどんな意味があるのですか?
A3:京都弁の「どうなの?」「どんなものですか?」というニュアンスを強調した言葉です。舞台上のアドリブから生まれたフレーズで、くるよさんの豪快なキャラクターとお腹を叩くアクションが合わさり、国民的な人気ギャグへと成長しました。
まとめ:今なお愛され続ける今いくよくるよの魂と笑いの遺産
今いくよ・くるよという二人の偉大な漫才師が駆け抜けた軌跡は、日本の大衆演芸におけるひとつの到達点でした。高校ソフトボール部の泥だらけのマウンドから始まった二人の旅路は、幾多の困難や重い病魔を乗り越え、最期まで強い友情と舞台への誇りに満ちていました。
劇場に響き渡ったくるよさんの「どやさ!」という威勢のいい声と、それを優しく包み込んだいくよさんの軽妙なツッコミ。二人が遺した温かな笑いと後輩への愛は、上方演芸の遺伝子として次の世代へとしっかりと受け継がれています。天国の舞台でもきっと二人は、あの頃と変わらないとびきりの笑顔で並び立ち、客席を大爆笑の渦に巻き込んでいるはずです。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))